桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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自殺者の心理



自殺者の精神状態


一口に自殺と言いましても、様々な原因が複雑に絡み合っているため、原因を特定するのは容易ではなく、原因が特定出来るケースは、自殺者全体の7割、2万1千人余りに過ぎません。

特定出来る原因の中で最も多いのが、病気などによる健康問題で、全体の約6割を占めています。次に、借金や失業などの経済生活問題、家族間の不和や暴力などの家庭問題、会社の人間関係や仕事から来るストレスなどの勤務問題と続いていますが、様々な要因が複雑に絡み合っているため、全てのケースに適応する解決方法を見つける事は、至難の業と言ってもいいでしょう。

しかし、要因は様々でも、自殺する人々の精神状態が正常でない事だけは確かで、自殺した人の全てとは言いませんが、その大多数が、「病的精神状態」にあった事は間違いないと思います。

ここに言う「病的精神状態」とは、精神病やうつ病のような、精神に疾患をかかえた病気のことを指すのではなく、あくまで正常な判断が出来ない精神状態にあるという意味ですが、病的状態にあるとはどういう事か、もう少し具体的にお話したいと思います。

会社の倒産によって人生のどん底に突き落とされ、それを契機として信仰の道に入られたお方がおられますが、一時は前途を悲観して自殺しようと思われた事があります。

後日、「自殺しようと思われた時は、どのような精神状態でしたか」とお尋ねしたところ、「何の思いも湧いてこない、ポカンとした空虚な状態でした」と仰ったのですが、この答えは、私にとって思いもよらぬものでした。

何故なら、私はそれまで、自殺する人はみな、自殺しようという確かな意思と覚悟を持って自殺すると考えていたからです。

次に「ではどうして自殺を思い止まられたのですか」とお聞きしたら、「後に残していく家族の事が頭を過ぎり、どうしても自殺出来ませんでした」と仰いました。

これらの答えから分る事が、二つあります。

一つ目は、自殺する人は、自殺しようという明確な意思と覚悟の下に自殺するのではなく、何も考えられない空虚な状態に陥った時に、初めて自殺への第一歩を踏み出すのではないかという事です。

私達はつい、「自殺する人は、自ら自殺しようと決意して自殺するのだから、自殺を止めようとしても無駄だ」と考えがちですが、これは大きな誤解で、自殺した人は、自殺しようという意思さえない状態、つまり「蝉の抜け殻状態」に陥っていたのではないかと思うのです。

二つ目は、残された家族の事を思いやるなど、自殺を思い止まる理由があれば、自殺を止められる可能性があるという事です。それは裏を返せば、自殺する人は、決して自殺したいと心底から願って自殺するのではないという事です。

よく「自殺した人は、好きで自殺したのだから、止めさせるのは無理だ」と言われますが、好きで自殺したのでも、死にたくて自殺したのでもなく、きっと私達と同じように、もっと生き続けて、天命をまっとうしたかったに違いありません。

でも最後は、生き続けようという明確な意思も、死にたいという明確な覚悟もないうつろな「病的精神状態」の中で、自ら命の灯を吹き消してしまったのではないでしょうか。


自殺と自殺死(自然死)の違い


このように、生きようという意思だけでなく、自殺しようという意思や覚悟さえもない、まさに空虚な精神状態の事を、ここで「病的精神状態」と名付けている訳ですが、「何も考えられないうつろな蝉の抜け殻状態」と言いますと、心の中に何もない空っぽの状態を連想されるのではないかと思います。

しかし、ここでいう「病的精神状態」とは、その反対に、心の中に何も入らない、何も考えられない飽和状態にある事を意味します。

心に何もない空っぽの状態なら、まだ幾らでも様々な思いを廻らせる余地があり、自殺を思い止まる事も可能でしょうが、心が飽和状態に陥ってしまいますと、もうそれ以上何も考えられなくなり、まるでコップに溜った水が自然に外へあふれ出てくるように、本人も明確な意思のないまま、何者かに誘われるように、自殺の道へ走ってしまうのではないかと思うのです。

自殺しようという明確な意思がある内は、まだ「病的な精神状態」ではなく、自殺を思い止まる正常な判断が出来る段階にあり、自殺を思い止まって、引き返す事も可能なのです。

ここで私達は、自殺という言葉の意味を、もう一度確認しておかなければなりません。

恐らく世間の大部分の方は、自殺を、自らの意思で死ぬ事だと解釈しておられるのではないかと思います。しかし、今もお話したように、自殺者の大半は、自殺しようという自らの明確な意思の下に死を選んでいるのではなく、恐らく、生きようという意思も、自殺しようと言う明確な意思もない空虚な精神状態、つまり「病的な精神状態」に陥った末に死を選んでいるのではないかと思われるのです。

このような精神状態の下で死を選んだ方々の死に、自らの意思で死を選ぶという意味に解釈されている自殺という言葉を当てはめる事は、かえって問題を複雑にするのではないでしょうか。

自殺したと思われている方々の死の瞬間は、すでに自分の意思では食い止められない状態に陥った末の死であるという意味で、むしろ老衰などの自然死に近いのではないかと思います。

勿論、心身の生命力が衰退して死に至るまでの過程は、老衰死とは全く異なりますが、自殺死そのものは、様々な要因で心身が何も受け入れられなくなり、自らの意思では食い止められない状態に陥った末の死である点で、自然死に近いと考えた方が、より実態に即しているのではないでしょうか。

つまり、自殺とは、死にたいという意思や願望ではあっても、自殺死そのものではなく、自殺死の実態は、自らの意思を超えた死、或いは自らの意思ではどうにもならない死という意味で、自然死に近いと考えた方がいいのではないかと思うのです。

「自殺」という文字から受けるイメージは、まさに「自らの意思で死ぬ」「自らを殺す」という意味ですが、私は「自ずから然らしめられる死」という意味に解釈したいのです。

死にたいという意思の段階に過ぎない「自殺」と、その後にやってくる自然死に近い「自殺死」を区別する事は、自殺を防止する上で何が大切かを、より明確にすると思います。

つまり、自殺しようという明確な意思のある内は、まだ自殺を防止できる可能性が十分に残されているのに対し、生きようという意志も、自殺しようという意志もない「病的な精神状態」に陥ってからでは、自殺死を食い止める事はかなり難しいという事です。

ですから、自殺を防止するには、まだ自殺しようという明確な意思のある内が勝負で、この時点でどこまでその人の心に鬱積(うっせき)した様々な悩みや思いを吐き出させてあげられるかにかかっていると言ってもいいでしょう。


心の足かせを解き放つために


ですから、例えば、他人の話に耳を傾けたり、誰かに相談をしたり、悩みを打ち明けたりするのは、たとえ心の片隅で自殺しようと考えていたとしても、また自殺したいという言葉を口に出していたとしても、まだ正常な判断が出来る状態にある証拠であり、この段階で、家族なり知人なり、周囲の人々が、救いを求める声をキャッチして、必要な対応を取る事が、自殺防止の上で非常に重要になってきます。

自殺すると言っている人に自殺した人がいないのは、まだ心が飽和状態に陥っていないため正常な判断が出来るからです。本当に自殺死を選ぶ時、人は、もはや一言も語らず、ただ死に赴くだけです。

勿論、自殺すると言っている内は大丈夫だと安心してそのまま放置すれば、やがて何も受け付けなくなり、自殺への一歩を踏み出す恐れがある事は言うまでもなく、心の飽和状態に陥る前の段階で、少しでも心の足かせを解放してあげられれば、自殺を防止する道は必ず開けると思います。

そしてその為には、周囲の人々が、日常生活の中での些細な変化にも目を配り、聞き手、受け手に徹し、たとえどんなに小さな事でも、その人の思いをすべて外に吐き出させてあげる事が必要なのではないでしょうか。

実は、かく言う私も、大学時代、一時ノイローゼに陥り、一年間休学した事があります。あのまま情緒不安定な状態が続けば、或いは自殺への一歩を踏み出していたかも知れませんが、最初に私の異変に気付いたのは、やはり周囲にいる家族でした。

私が、おかしな事を言い始めたのを心配した家族が、聞き手となり、私の心の中に鬱積(うっせき)していた様々な思いを、すべて外に吐き出させてくれたお陰で、私は少しずつ本来の自分を取り戻していく事が出来たのです。

いま振り返ってみますと、些細なことで思い悩み、焦燥感を募らせ、精神的に自分を追い詰めていったように思いますが、当時の私には、決して些細な問題とは思えず、だからこそ、親身になって話を聞いてくれる家族や友人の存在が、私にとって何よりの救いとなったのです。

人間というものは、他人から見れば、何故そんな事で悩むのかと言いたくなるほど、些細な問題で悩んだりするものですが、たとえ他人が見て些細な問題であっても、本人には、決して些細な問題ではないからこそ、悩み苦しんでいるのですから、周囲の人々は、その人の悩み苦しみを、わが身の事として受け止め、苦しみを共有する事が大切ではないかと思います。

また私自身の体験から、心の中に滞っている様々な思いを親身になって聞いてくれる人々が周囲にいれば、必ず心を開いて本来の自分を取り戻せる筈であり、周囲の人々は、最後まであきらめないで、その人をあたたかく見守ってあげて頂きたいと思います。

合掌




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